愛すべき都営新宿線「曙橋」駅

スポンサードリンク

曙橋は市ヶ谷に近く、交通の便がとてもよい。しかも環境はとても静か。
都心の中のオアシスのような場所です。
フジテレビが移転してから様相は一変したようです。

 

20年前と比べるとずいぶんと静かになってしまったそうですが、再開発が進みました。
大江戸線ができて人の流れも大きく変わったようです。

 

新橋までタクシーで15分から20分。新宿からはタクシーで5分。
歩いても帰宅することが出来ます。伊勢丹は徒歩圏内です。
新宿御苑も近くにあり迎賓館も散歩圏内です。

 

食べるところは美味しいところが多く、飲み屋にいたっては荒木町という飲屋街があります。
荒木町は旧花街で風情のある街です。
荒木町については「荒木町商店会」のホームページが楽しめます。

 

曙橋は穴場的存在です。
曙橋

 

曙橋

 

曙橋

曙橋は坂が多い

念仏坂

新撰東京名所図会によると、昔この坂あたりに老僧がいて、昼夜念仏を唱えていたという。また、この坂の左右は谷に臨んで屈曲し危険であったので通行人は念仏を唱えて往来したという。/標識(新宿区教育委員会設置)の説明による。

 

当時安養寺のお寺に続く路だったようです。
念仏坂

 

暗坂/くらやみざか

くらがり坂ともいう。江戸時代中期より広く知られ、「御府内沿革図書」に暗坂、「江戸名勝誌」にくらがり坂の記載がある。坂名は、この坂の片側の全長寺墓地の幽林が茂り、暗かったためこう呼ばれたという。なお、暗闇坂は明治以降の熟語で、本来は暗坂と書いた。/説明より
暗闇坂

 

合羽坂

 

新撰東京名所図会によれば「合羽坂は四谷区市谷片町の前より本村町に沿う、仲之町に上る坂路をいう。昔此坂の東南に蓮池と称する大池あり。雨後など獺(かわうそ)しばしば出たりしを、里人誤りて河童と思いしより坂の呼名と…。転じて合羽の文字を用い云々」何れにしても、昔この辺りは湿地帯であったことを意味し、この坂名がつけられたものと思われる。
/標識(東京都設置)の説明による。

 

写真は合羽坂から降りたところの風景。
彼方に建設中の四谷の高層ビルが見える。

 

合羽坂

 

津の守坂

荒木町と三栄町の境を靖国通り手前までくだる坂である。別名を小栗坂ともいう。昔坂上の西脇に松平摂津の守の屋敷があったのでその名を略して津の守坂と称した。/東京都新宿区教育委員会

 

津の守坂

 

途中に新宿歴史博物館の案内がある。

 

津の守坂

小泉八雲旧居跡

現在は成女学園という私立学校の裏になっているところに、小泉八雲の住居がありました。派出所の裏の辺りです。
それを示す碑が建っています。階段を上らなくてはならず学校の敷地内になっているので、ちょっと見にくいです。

 

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)

 

さその近くには小泉八雲が愛した瘤寺、自證院

 

八雲はこの寺が大層気に入っていていたようです。
ある時 この寺が経営難で3本の木を切っのをきっかけに、彼は曙橋を離れる一つの契機になったとも言われています。
外に佇んでいる仏像は時代を感じさせるものでした。

 

自證院

 

自證院

 

自證院

 

近所の町名

愛住町 あいずみちょう

町名は「隣人を愛しながら助け合って仲良く住む町にしたい」との希望を込めたと思われ
る(新宿区町名誌)。
たしかフーテンの寅こと渥美清さんが眠っているのはこの辺りのお寺さんという。

 

四谷荒木町 よつやあらきちょう

町名は荒木志摩守政羽(浅野内匠頭の赤穂城を受け取った人)の屋敷があったことによる。
明治時代は歌舞伎の芝居小屋が建てられたり、料理屋や待合が出来たりして花柳界となる。
いまは昔の雰囲気を少しだけ楽しむことが出来る。
実はこの界隈は池がある。縮んでしまったようだがまだ魚や亀がいる。水はまだ湧き出ているとか。

 

 

市谷加賀町 いちがやかがちょう

加賀屋敷跡は加賀原とも屋敷とも呼ばれ、幕初加賀百万石金沢藩主前田光高夫人(水戸光圀の兄頼房の娘で清泰院と号し明暦二年(1656)に30歳で逝去)の屋敷があったことによる。

 

市谷台町 いちがやだいまち

町名は谷に対して台地であることによる。新宿通り住吉町の交差点から台町坂を上がる両側の町。この町の町名は新しい。
明治の頃、市谷監獄があったそうだが、地形は戦後の道路拡張などで大幅に変わっている。

 

市谷仲之町 いちがやなかのちょう

尾張藩徳川家上屋敷と河田町別邸との中間にあるので仲之町の俗称があった。
大久保、早稲田方面の抜け道になっており、タクシーのいてき

市谷本村町 いちがやほんむらちょう

市谷村の最初の開墾地であることによる。
陸軍士官学校と幼年学校があった。

 

市谷薬王寺町 いちがややくおうじちょう

東外苑通りに面してあった肝心の薬王寺は、維新後に廃寺となり、法灯は大塚の護国寺に移された。

 

片町 かたまち

『新宿区町名誌』では「市谷片町は市谷本村から分かれた新しい区域(町)ではなかろうか」とする。
片町は猫の額ほどの小さな街である。

河田町 かわだちょう

川田も河田も川の傍にある田圃の意で特別の由来はない。

 

四谷坂町 よつやかまち

最近坂町から四谷坂町になった。
曙橋は坂道が多い。
しかも風情のある坂道が多く散歩も楽しい。

 

左門町 さもんちょう

 

四谷三栄町 さんえいちょう

最近三栄町から四谷三栄町に町名が変更となった。

 

住吉町 すみよしちょう

終戦後あたりまでは、谷町と呼ばれていたようだ。

 

富久町 とみひさちょう

久しく富む町への願いを込めた嘉語による。富久町谷は紅葉川渓谷中最大で四谷の一谷を
なすと考えられている。
東京監獄が明治時代にあったようだが実際の場所は特定できていないようだ。

 

舟町 ふなまち

アンパンマンショップがある
町の中央を走る通りの俗称船板横町から拝借。
船板は四谷がまだ杉の森だった江戸の初期
に船板を作る杉材を伐り出していたことによる。元来四谷は杉の産地で「四谷丸太」のブランド名は現在も浸透している。
地名の由来東京23区のホームページより

 

余丁町 よちょうまち

御旗組屋敷の横町(路地)が四条(4本)あったので初めは大久保四丁町と俗称された。
四≠フ字が死≠ノ繋がるというので、明治の改編のときに余≠フ字に改めた。
地名の由来東京23区のホームページより

 

四谷 よつや

「よつや」の由来については四谷説(江戸砂子)と四屋説(府内備考)があるが両説ともそれだけでは説明が付かないところがあるようです。
詳しくは地名の由来東京23区のホームページで。

 

 

引用と参考
地名の由来東京23区

スポンサードリンク
page top